2008年10月15日

リア・ディゾン、電撃結婚発表「お腹に赤ちゃんがいます」

リア・ディゾン、電撃結婚発表「お腹に赤ちゃんがいます
リアができた婚!突然の発表にファン騒然

1年ほど前からリアのCDジャケットの撮影に参加した、年上で20代のスタイリストと10月10日に入籍、現在妊娠4〜5カ月。

リア・ディゾンは「きりっとした目のクールな印象」の男性が好み・・グータンヌーボ

最後の切り札の期待が高まるリア・ディゾン、できちゃった婚、10日挙式

お笑い系カレシ募集…リア・ディゾン、ファンに愛ス
リア・ディゾン「こんな恋をしたいな」


 ◆リア・ディゾン 

1986年9月24日、米ラスベガス生まれ。父は中国系フィリピン人、母はフランス系米国人。

06年にセーラー服などのコスプレ写真を載せた公式ホームページに3カ月間で200万件近いアクセスが殺到。

10月にアイドルの登竜門といわれる「週刊ヤングジャンプ」の表紙&巻頭を飾り「アグネス・ラム以来の米国出身アイドル」として注目される。同月にビクターから歌手デビュー、翌07年にNHK紅白歌合戦初出場。

1メートル67、B86・W60・H88。血液型O。

★★★

リア・ディゾン

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

リア・ドナ・ディゾン(Leah Donna Dizon, 1986年9月24日 - )は、アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガス出身の歌手、モデル、レースクイーン

フランス系アメリカ人の母と中国系フィリピン人の父とのハーフ。六人兄弟の次女であり、兄が二人、姉が一人、弟が二人。
英文とローマ字表記の日本語が混ざった文章を翻訳を介し、自ブログにて披露。2008年現在、日本語の文法を勉強中。また幼少時は父親の母国語であるタガログ語を学習、ほとんど忘れかけているが少々のヒアリングは出来る模様。
貪欲さに欠けて内向的であるため、自ら率先して人間関係を築く事や初対面の人間との意思疎通が非常に不得手で苦手としており、周囲が知らない人ばかりだと神経質になりそのまま黙してしまう。自身はこのことを「社会不安障害では」と自己分析している。ただ衆目で歌ったり踊ったりする分には何ら臆することもなく問題もない[1]。このためかTV番組出演時に性格を問われた際に「二面性」と述べている。
自らは覚えた語彙で何とか会話を成立させようと努力しているが、初手から日本語の拙さを期待され指摘し笑いに転化されるのは本意ではないと落ち込む。

[編集] 趣味、嗜好・その他
好きな本は『SAYURI』、『ヴァージン・スーサイズ』、『ライ麦畑でつかまえて』等。
好きな食べ物はチョコレート、他にキムチ、焼き肉、フォー、アジア系の料理を挙げている。日本食では天ぷら蕎麦、うな重。苦手な食べ物はラーメン。
好きなミュージシャンとしてレッド・ホット・チリ・ペッパーズやデフトーンズ、コーン、ニルヴァーナなどのラウドロック系、ステイシー・オリコ、ジャネット・ジャクソン、マドンナ等の女性シンガー、邦楽ではX JAPAN、森山直太朗、B'z、GLAY、L'Arc〜en〜Ciel、SEX MACHINEGUNSの他、台湾歌手の周杰倫、等のアーティストがあげられており、宇多田ヒカル、安室奈美恵は12歳の頃から聴いていた。
ペットはハムスターのハムちゃん、 ソマリ種(ホームキャット)のホーデンとガッチャン。
好きなミュージック・ビデオは椎名林檎の「歌舞伎町の女王」。特に間奏の、椎名による口笛の部分が好きであるとMTVM size内にて発言している。
当て字の日本語名は「梨愛」。
愛用のギターはテレキャスターの「テレちゃん」

[編集] 経歴

[編集] ラスベガス時代
1986年9月24日に出生、父親は牧師、母親はカジノディーラー。父親が動物好きであったためか乗馬で遊んだり、バレエの習い事をして幼少時を過ごす。初恋の相手は幼稚園で出会ったブランドンという男の子だったが物陰から隠れて見ているだけだった。弟のブラッドと子供の頃喧嘩になった際、枕で殴られたリアは2m近く吹っ飛ばされる。母親はお金に厳しい性格だったようで同年代の女の子が携帯電話を持ち、好きなものを買って遊んでいるのを指をくわえて見ているだけだった。14歳の頃は友人と一緒に衣料品店のバイトに勤しみ、中学校はチアリーディングで活動したり、ギターのストラップを長くして腰より低い位置でギターを弾いてグランジの真似ごとをする。尚、この頃既に日本へ単身渡航して遊びに来ている。私立高校に入学してから途中、公立の高校へ転入するものの校風が合わなかった上、生来の内向的な性格が災いしてか友人も少なく、廊下を歩いているときすれ違いざま悪ふざけでロッカーに閉じ込められたり、トイレで一人、スナック菓子でランチを済ませるなど暗い高校生活を送る事になる。学校での得意科目は国語。学業以外では演劇やミュージカルの活動に興じる。デートはPCカフェで、シューティングゲームをして遊ぶ。


[編集] L.A時代
高校卒業後は大学への進学も視野に入れていたが家庭の事情により進学費用を捻出出来ず断念。ショウビズ(と大学進学)を目指すべくラスベガスからLAへと移ってから、ゴーゴーバーでのポールダンサーやランジェリー販売のカタログモデル、車用品雑誌のグラビア、レースクィーン、イベントコンパニオンで糊口を凌ぐ傍らダンススクールに通ったり、アジア系インディペンデント映画サークルのプロモーション映画に出演したりしている。日本デビューは意外にも2005年1月26日、雑誌オプションのセルビデオ「ビデオオプション」[2]、カリフォルニア州にあるナスカーレーストラックで行われたエキシビジョンレース「 D1GP AllStar」のプレゼント企画で各ブースをレポートするD1USAキャンペーンガールの一人として出演していた。この頃に後に話題となる自身のサイトを立ち上げる。しかし徐々に露出が大きくなる撮影と、アルバイト先に掲載されている雑誌を持って「これは君なのか」と訊ねる男性が出てきたりと、自分がしている仕事に対して限界を感じるようになる。


[編集] 来日までの経緯
アメリカでグラビアモデル・レースクイーンとしての活動時に立ち上げた自分のウェブサイトに自身の写真を掲載したところ、1年弱でGoogle検索エンジンのヒット数が200万件にまで上昇。中でもルーズソックスでセーラー服の写真が話題になり日本のインターネット上で件の画像が瞬く間に増殖、至る所に貼られインターネットで誰何され日本で活動を勧めるメールが寄せられるようになる。その事が後押しとなり、自分でプロモーション用のデモビデオを撮影・作成し、日本の芸能事務所にメールする。この時、日本語は殆ど話せなかったが日本語が喋れない事で契約が出来ないのではと危惧したリアは自身のプロフィールに日本語が出来る旨をアピールするためか芸能事務所宛のデモビデオで安室奈美恵の『I WILL』を日本語で歌っている。芸能事務所 「株式会社 スカイコーポレーション」のオファーで2006年春に来日、「どうせすぐに帰されるだろう」と持ってきた所持金は200ドルだった。その後「グラビア界の黒船」の惹句で、日本でデビューするきっかけを掴む。


[編集] デビュー後
日本デビューしてから2年間の間にアルバム一枚、CDシングル4枚、写真集3冊、中でも1stの「Petit Amie」と2nd「ハロリア!」は各10万部を超える売り上げを出す [3]。 2007年度の紅白に出場したり、TVで単発のMCをこなしたり、新アルバム発売にともなう台湾、香港ツアーや学園祭、集英社を筆頭としたグラビアやファッション雑誌にモデルとして活動しているが「外国人の私を受け入れてくれる素地が日本に存在するのか」と懊悩している一面もある。 家族や友人とは当然離れて暮らしているため、弟のブラッドが日本滞在を終えて帰国すると落ち込んでいる。 カラオケには行くが「ギャランティが発生しない」との理由で自分の持ち歌は歌わず、宇多田ヒカル等の曲を歌っている。 2008年現在、日本語の文法を勉強しているものの暗記が追いつかない模様。簡単な受け答えは可能だが、自分の心情を述べる場合などはファーストランゲージである英語で答える。ほしのあきによるとデビュー当時より日本語が格段に上達しているとの事。専らの悩みは時差を考えずに日本時間で朝四時(ラスベガスでは正午頃)に連絡をしてくる母親からの電話。

リア・ディゾン - Wikipedia

公式サイト
リア・ディゾン オフィシャルブログ


posted by ぴかまま at 07:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 女性:り行
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