2009年06月04日

元宮城県知事の浅野史郎さんが白血病…骨髄移植が必要に

元宮城県知事の浅野史郎さんが白血病…骨髄移植が必要に
2009年6月4日(木)12時43分配信 読売新聞

 元宮城県知事で慶応大教授の浅野史郎氏(61)が、急性の成人T細胞白血病であることが3日、わかった。

 浅野氏は4日から、東大医科学研究所付属病院(東京都港区)に入院する。

 関係者によると、浅野氏は4日以降の予定をすべてキャンセルし治療に専念する。放射線治療などの化学療法での完治は難しく、骨髄移植が必要という。友人らが「浅野史郎を支援する会」を今月1日に設立し、骨髄バンクのドナー登録を呼びかける取り組みを始めた。既に全国で約280の個人・団体が加盟している。

 宮城県内では3日、知事時代の支援者ら約20人が集まり、同会の県支部を発足させた。今後、県内の骨髄バンクの推進に取り組む団体と連携し、支援の輪を広げる予定だ。

浅野史郎あさのしろう、1948年2月8日 - )は、日本の元政治家、元厚生官僚、元宮城県知事(在任期間 : 1993年11月21日 - 2005年11月20日)。現在は慶應義塾大学総合政策学部教授などを務める。岩手県大船渡市生まれ。

1966年 - 宮城県仙台第二高等学校卒業。
1970年 - 東京大学法学部卒業後、厚生省(現・厚生労働省)入省。
1972年 - アメリカ・イリノイ大学留学。
帰国後、厚生省社会局老人福祉課課長補佐。
1978年 - 外務省在アメリカ合衆国日本大使館一等書記官。
1981年 - 厚生省年金局年金課課長補佐。
1985年 - 北海道庁福祉課課長。
1987年 - 厚生省児童家庭局障害福祉課課長。
1993年 - 厚生省生活衛生局企画課課長を最終役職に、厚生省退官。宮城県知事選に立候補し当選。
1997年 - 宮城県知事再選(第2期)。
2001年 - 宮城県知事再選(第3期)。
2005年 - 社会福祉法人宮城県社会福祉協議会会長に就任。
2005年11月20日 - 4選不出馬を表明した上で任期満了に伴い、宮城県知事退任。
2005年12月1日 - 東北大学大学院法学研究科附属法政実務教育研究センター客員教授に就任。
2006年4月1日 - 慶應義塾大学総合政策学部総合政策学科教授に就任。
2007年3月5日 - 社会福祉法人宮城県社会福祉協議会会長を辞任。
2007年4月8日 - 2007年東京都知事選挙で落選(次点)。
2009年6月4日 成人T細胞白血病であることを公表し、闘病に入る。

高校3年生の時に受験生への密着リポートとして、地元民放から数ヵ月にわたり取材を受けた体験がある。

厚生省のキャリア官僚時代、障害福祉課長を務めていた経歴から、福祉および介護の分野に詳しい。

1993年、ゼネコン汚職事件で当時現職の知事だった本間俊太郎が逮捕され辞任したことによる宮城県知事選挙に新生党・日本新党・さきがけ・社民連の推薦を受け立候補し、自民党・社会党・民社党が推薦した前副知事、共産党推薦候補ら3候補を破り初当選。

1997年は既成政党の推薦や支持を受けない"脱政党"を打ち出して出馬。自民党・新進党・公明の3党が推薦し、県内の市町村長の多くも支持した市川一朗と共産党推薦候補をダブルスコアで下し再選。

2001年も同様に脱政党を主張し、共産党推薦候補ら2人を大差で下し、3期連続当選した。この際、自民党は候補者擁立を断念、不戦敗に追い込まれた[1] 。この際、自民支持者の多くが投票を棄権したこともあり、投票率は過去最低の35.58%だった。

2期目と3期目の知事選では、民主党と社民党は勝手連として浅野史郎を支援した。

自民党も議会では協調路線を取っており、知事提案の議案には基本的に反対しなかった。一方、排除される形となった共産党はオール与党批判を強めた。

宮城県知事時代には北川正恭や増田寛也、福田昭夫、橋本大二郎、石原慎太郎、片山善博らと並び、構造改革を強力に推進し、政党の表立った推薦を受けない「改革派知事」「無党派知事」として宮城県のみならず、全国的にその名を知られるようになった。

2005年に宮城県知事を退任後、東北大学客員教授に就任。2006年4月からは慶應義塾大学総合政策学部総合政策学科教授として教鞭をとっている。福祉施設関係者の交流と勉強会を兼ねた「アメニティフォーラム」の発起人として当初から参加し、現在もフォーラムの代表として活動している。また、情報番組やワイドショーのテレビおよびラジオ番組にコメンテーターとして多数出演している。

ジョギング愛好家であり、自らのブログにおいて「ジョギング日記」を公開している。フルマラソンを何度も走破しているスポーツマンであり、宮城県知事の公務で東京へ行った際も朝にジョギングをしていたが、同県出身の生島ヒロシが司会を務めるTBSラジオ『生島ヒロシのおはよう一直線』の生放送中のスタジオにジョギングの格好のまま飛び入り出演したことがある(その際、浅野を知らなかったTBSの警備員に怪しまれたとのこと)。以後、同番組にはたびたび出演するようになった。

1999年頃、NHK教育『週刊こどもニュース』の出演者(子役)よりカラ出張について質問を受けた。この時当初は一般の大人に説明するような口調で話していた。しかし、子供たちが理解できていない様子を見て、「(要は)嘘ついちゃったんだよ」と言った結果、子供たちは納得していたという。ちなみに、当時司会であった池上彰の著書『これが「週刊こどもニュース」だ![2]』によるとこの話には後日談があり、この年の年末に浅野が「今年一番印象に残ったことは?」との質問を受け、「週刊こどもニュースの質問」と答えたと言う。また、子供たちが東京都知事であった青島幸男にカラ出張について同様の質問をしたところ「忙しいから答えられない」と返答されており、このことと比較して池上は「子供の声に真剣に耳を傾けた浅野知事は立派でした」と書いている。

浅野史郎 - Wikipedia

浅野史郎・夢らいん
浅野史郎WEBサイト『夢らいん』
浅野史郎プロフィール 講演依頼.com|講演会の講師紹介
講演会:浅野史郎さん、本人が体調不良で中止 /宮崎 - 毎日jp(毎日新聞)
浅野史郎とは - はてなキーワード
【金曜討論】タレント知事の功罪 浅野史郎氏、佐高信氏 (1/3ページ ...
マスコミ不信日記 : 浅野史郎の取り巻きが怪しすぎる件
タグ: 「浅野史郎」 - テクノラティ・ジャパン



タグ:浅野史郎
posted by ぴかまま at 17:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他
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