2010年07月20日

山田優が連ドラ初主演!! 西原理恵子の壮絶半生を体当たり熱演

サイバラブーム 映像化ラッシュも原作映画化は苦戦続く

キョンキョン&永瀬、元夫婦が夫婦役…「毎日かあさん」実写映画化

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菅野美穂、8年ぶりの主演映画が高知県で先行公開「パンチパーマをありがとう」

スタジオパークからこんにちは★西原理恵子

<深津絵里>ダメ作家に変身 マンガ「女の子ものがたり」が映画化 西原理恵子も特別出演

母を語る 漫画家・西原理恵子さん/手抜き育児のススメ

西原理恵子さいばらりえこ、1964年11月1日 - )は日本の漫画家。ギャンブルや、旅行体験レポートなど、実体験に基づいた大人向けギャグ漫画作品が多い。2児の母。

作品の性質上、西原と親交のある人物が実名で登場することも多い。それらの人物に仕事を斡旋することがあり、元夫の鴨志田穣や友人の金角(後に、ゲッツ板谷に改名)・銀角らがライターとしてデビューしたのも彼女がきっかけであるとされている。

2003年に鴨志田と離婚。しかし離婚後も西原のサポートにより、鴨志田のアルコール依存症克服や、癌との闘病生活を共に過ごす。入籍はせず事実婚の形であった。現在、テレビ番組などで夫と過ごした闘病生活に関してコメントしている

高知市出身。母の実家である漁師の家で長女として生まれる。兄弟は兄がひとり。3歳の時に実父と死に別れ、母の再婚相手の義父に溺愛されて育つ。

私立土佐女子高等学校在学中に飲酒によって退学処分を受け、その処分を巡り学校側を訴える。その訴訟の際に、取材に来たフリーライターの保坂展人(現社民党衆院議員)と知り合う。

その後大検に合格、1年間立川美術予備校に通った後、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科に入学し1989年3月同校卒業(本人曰く「しょもない美大に無事受かってしまった」)。大学在学中から飲食店での皿洗いやミニスカパブでホステスのアルバイトをしながら成人雑誌のカットを描いていたが、カットを目にした小学館の編集者八巻和弘にスカウトされ1988年『ちくろ幼稚園』(『週刊ヤングサンデー』)でデビュー。

その後パチンコ雑誌、麻雀漫画誌、漫画週刊誌などに連載を持ち、『週刊朝日』連載のグルメレポ漫画『恨ミシュラン』で一躍人気を博す。1996年に旅行体験レポ漫画『鳥頭紀行』で知り合ったフォトジャーナリスト鴨志田穣と結婚。2児をもうけるも、鴨志田のアルコール依存症(これについては2008年春、NHK教育の福祉番組「福祉ネットワーク」に出演し、語っている)、西原の多忙によるすれ違いなどを原因として離婚。

ただ、その後も頻繁に会うなど絶縁したわけではなく、『毎日かあさん』(毎日新聞紙上の連載)2006年8月掲載分にて復縁を匂わせ、鴨志田がアルコール依存を治癒したため、籍を入れない事実婚の形で同居を再開。西原は、これら2人の過程を『毎日かあさん』の中に物語として組み込んでいた。しかし同居の再開時点で鴨志田は末期の腎臓がんであり、同居再開の半年後の2007年3月20日に逝去。葬儀では西原は元妻として喪主を務めた。

1997年に『ぼくんち』で文藝春秋漫画賞を受賞する。同作品は観月ありさ主演で映画化されている。2005年に『毎日かあさん(カニ母編)』で文化庁メディア芸術祭漫画部門優秀賞を、『毎日かあさん』『上京ものがたり』で手塚治虫文化賞短編賞を受賞。

2007年3月の鴨志田穣の逝去から3ヶ月間活動を休止していたが、親友であるゲッツ板谷の原作映画『ワルボロ』の宣伝用イラスト制作を機に、『毎日かあさん』などの連載を再開している。

2007年5月9日放送の、フジテレビ系テレビ番組『ザ・ベストハウス123』の 中で、「最も泣ける本」の第一位として「いけちゃんとぼく」が挙げられた。

西原理恵子 - Wikipedia

2. 銭の花はどこに咲く。さいばらりえこの太腕繁盛記 生(なま)
3. 鳥頭の城
4. 毎日かあさん - 毎日jp(毎日新聞)
5. 女子力!インタビュー西原理恵子


posted by ぴかまま at 17:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 作家・漫画家

2009年10月14日

川上未映子

川上未映子
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

川上未映子(かわかみみえこ、1976年8月29日 - 、本名:岡本 三枝子(おかもと みえこ)、旧姓:川上(かわかみ))は、日本のミュージシャン、女優、文筆家、小説家、詩人。自称、文筆歌手。音楽活動時は未映子(みえこ)名義も使用する。

大阪府大阪市の京橋に生まれる。大阪市立すみれ小学校、大阪市立菫中学校、大阪市立工芸高等学校卒業。日本大学通信教育部文理学部哲学科に在籍。

2002年、ビクターエンタテインメントより川上三枝子名義でデビュー、アルバム『うちにかえろう〜Free Flowers〜』を発表。その後、「未映子」と改名し音楽活動を行う。2004年にアルバム『夢みる機械』を発表。2005年にセルフプロデュースアルバム『頭の中と世界の結婚』を発売。同年に文芸雑誌『ユリイカ』に自ら売り込みをかけ、詩が掲載される。2006年に所属レコード会社の担当者(当時)と結婚[1]。『WB』vol.07に「感じる専門家採用試験」を発表。

2007年第1回剣玉基金を受けて「わたくし率 イン 歯ー、または世界」を『早稲田文学0』に発表。同作で第137回芥川賞候補作となり注目を集める。同年第1回早稲田大学坪内逍遥賞奨励賞受賞、単行本『わたくし率 イン 歯ー、または世界』で第29回野間文芸新人賞候補・第24回織田作之助賞候補となる。

2008年、「乳と卵(ちちとらん)」で第138回芥川龍之介賞を受賞。受賞の際の感想の言葉は「めさんこ、うれしい」、「めっちゃ、うれしい」。母への連絡の言葉は「お母さん、芥川賞取ったでぇ。ほんま。ありがとぉ」。3月、特定非営利活動法人「わたくし、つまりNobody」より第1回「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」を受賞[2]。2009年、詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で第14回中原中也賞を受賞。

作風 [編集]
関西弁を用いたリズムある文体が特徴で、自我をテーマとした作品が多い。永井均に影響を受けたと語っている[3]。

小説や詩の文章が音楽的だといわれることがよくあるようだが、本人は「そうではないと思う。音楽という、文学とは違う現場の無意識を持ち込んでいる部分はあると思うけど」と語っている[4]。

人物 [編集]
好きな食べ物は春雨で、「あらゆるものの中で一番好き」と語るほどの大好物である。特に好きなのはタイ料理のヤムウンセンで、自分でも作れるという[4]。

小学生時代、自由なテーマで作文するという課題で、祖父の死を採り上げたところ、オオタケ先生に大変誉められたことが印象に残っている。(NHK「スタジオパークからこんにちは」2009年10月14日)

長所は短時間で集中できるところで、短所は集中力が長続きしないこと[4]。

“4時”に強い恐怖感をいだいており、例えば朝に寝て、起きた時間が夕方4時だったときには「すべての恐怖がいっせいにやってくるような気持ちになる」という。ただし、書くべき“時間”も“4時”しか無いと述べている[5]。

弟はラグビー選手の川上利明。

著書
小説
単行本

わたくし率 イン 歯ー、または世界(2007年7月27日、講談社、ISBN 9784062142137)
わたくし率イン歯ー、または世界(『早稲田文学0』2007年4月刊)
感じる専門家採用試験(『WB』WASEDA bungaku FreePaper vol.07_2006_11)
乳と卵(2008年2月22日、文藝春秋、ISBN 9784163270104)
乳と卵(『文學界』2007年12月号)
あなたたちの恋愛は瀕死(『文學界』2008年3月号)
ヘヴン(2009年9月1日、講談社、ISBN 9784062157728)
ヘヴン(『群像』2009年8月号)

単行本未収録作品
お母さーんと叫ばなならんの、難しい(『アスペクト』連載中)
戦争花嫁(『早稲田文学1』2008年4月刊)
いざ最低の方へ(『ユリイカ』青土社、2008年12月号)
バナナフィッシュにうってつけだった日 (モンキービジネス サリンジャー号)
旅行熱 (『現代詩手帖』2009年1月号)
素晴らしい骨格の持ち主は (『新潮』2009年7月号)
随筆・散文集 [編集]
そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります(2006年12月1日、ヒヨコ舎、ISBN 9784434086366)

詩集
先端で、さすわ さされるわ そらええわ (2008年1月5日、青土社、ISBN 9784791763894)
先端で、さすわさされるわそらええわ
少女はおしっこの不安を爆破、心はあせるわ
ちょっきん、なー
彼女は四時の性交にうっとり、うっとりよ
象の目を焼いても焼いても
告白室の保存
夜の目硝子

川上未映子 - Wikipedia

川上未映子の純粋悲性批判(公式サイト)
空想書店 1月の店主は川上未映子さんです(読売新聞)

天才の育て方(朝日新聞)★川上未映子(その2)
天才の育て方(朝日新聞)川上未映子(その1)

2. 川上未映子プロフィール
3. 純粋悲性批判
4. 川上未映子
5. yorimo : 川上未映子「発光地帯」

川上未映子:「1Q84」との比較も 掲載誌完売の話題作・小説「ヘヴン」発売
芥川賞に川上未映子さん、直木賞は桜庭一樹さん
タグ:川上未映子
posted by ぴかまま at 15:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 作家・漫画家

2009年10月09日

「勝間和代を目指さないほうが幸せ」精神科医の香山リカ

ダウンタウン松本人志に第1子の女児誕生「彼女が20才の時、僕は66才です」
キュンキュンしちゃった…月9で小栗旬と水嶋ヒロが共演

★★★

10/8徹子の部屋のゲストは話題の精神科医・香山リカさん

「勝間和代を目指さない幸せ」 反「カツマー」本が30万部突破

香山リカ(かやま りか、1960年7月1日 - )は、日本の占い師、精神科医、評論家、立教大学現代心理学部映像身体学科教授。本名非公開。黒縁眼鏡がトレード・マーク。

夫は、スポーツライターの斎藤文彦(フミ斎藤)。 弟は、「ミスター80年代」と自称して、音楽活動を行っている中塚圭骸。

北海道札幌市生まれ、小樽市出身。父は北海道大学出身の医師。

地元の中学校を卒業してから単身上京し、女子学生専用の賄いつき下宿から東京学芸大学附属高等学校に通学。1978年、高校3年生のとき親に買ってもらった三軒茶屋のマンションで独り暮らしを始める。東京大学理科III類受験に失敗して東京医科大学医学部へ進学、北海道大学医学部付属病院で研修を受ける。

大学卒業後、小樽市立小樽第二病院への勤務、神戸芸術工科大学助教授、帝塚山学院大学教授を経て、現在は立教大学教授を務めている。

肩書きに「精神科医」を用いているが、香山リカ名義で医師としての活動は行っていない。立教大学教授としてはペンネームの香山リカ名義を用いている。

評論家・文筆家でもあり、エッセイなど数多くの著書を執筆。大学在学中より文筆活動を始め、雑誌等に寄稿した。筆名はその際の編集者山崎春美が付けたもので、玩具の人形「リカちゃん」に設定された本名に因んでいる[1][2]。1983年、インディーズレーベル「ピナコテカレコード」よりリリースされた山崎主宰のアルバム『TACO』に「赤い旅団」のヴォーカルの一人として、また「小さなチベット人」の独唱者として参加した「香山リカ」は別人[3]。

また「九条の会・医療者の会」に参加しており、「マガジン9条」発起人である。また靖国神社に代わる新たな追悼施設に関しては、戦争責任がうやむやにされるため反対と発言するなどの、政治活動をおこなっている。ワールドカップやWBCなどのスポーツの国際大会や日本人拉致問題などを例に採り上げて、日本代表を応援する行為などに見られる(著書では若者の)「『日本人』意識の高揚」を不健全で偏狭な「ぷちナショナリズム」と名付け批判している。このような精神医学を一般的な信条の問題などに当てはめる手法に一部から批判がある[4][5]。また、香山自身もそのような行為に対して、危険性を指摘している。[6]

ピースボートに水先案内人として乗船したこともある[7]。

プロレスの大ファンで、ジャイアント馬場を崇拝している。香山は少女時代、馬場に抱き上げてもらったことがある。2006年8月には、NHK教育テレビ『知るを楽しむ』(私のこだわり人物伝)で、4週にわたりジャイアント馬場について語った。
また身体障害者のプロレス団体「ドッグレッグス」の、 リングサイド・ドクターを勤めたこともある。

また、「香山リカ占い」と題する携帯サイト等で本業の占いの他、心理カウンセリング、夢診断等も行っている。

2009年10月8日に徹子の部屋(テレビ朝日)にゲスト出演。

1986年 東京医科大学医学部医学科卒業
1999年 神戸芸術工科大学助教授
2004年 帝塚山学院大学人間文化学部人間学科教授
2008年 立教大学現代心理学部映像身体学科教授

香山リカ (精神科医) - Wikipedia
タグ:香山リカ
posted by ぴかまま at 04:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 作家・漫画家

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